父が急逝しました~身内の死に対する気持ちの整理~

日常

こんにちは、雪だるまです。

タイトルの通り、父が突然亡くなりました。

61歳でした。

家族も弱っている中で暗くなるような話をしたくないので、このブログで自分の気持ちを整理しようと思います。

電話

休日の午後、携帯に着信がありました。

相手は父。

私は何日か前に父からメールで「たまには家に遊びに来いよ」とメッセージをもらってました。

私はそれに対し「行けたら行くね~」と適当に返事していたのを覚えていました。

父からの連絡はいつもそんな感じです。

私は今付き合っている彼との結婚を両親に反対されていることもあり、気軽に家に帰る気にはなれませんでした。(参照:【心に残った一文】進路、就職、結婚 「反対する親の心を知りたい人」への一文

だから、メールの返事もその場しのぎで、この時の電話もメールの時の様な内容なのだろうと電話に出るのをためらいました。

結局電話の着信は鳴りやみ、私は仕事疲れからひと眠りしました。

夕方、目を覚ました私は、また携帯が着信音を発しているのに気が付きました。

今度は姉からでした。

「今日はよく電話がなるな~」なんて呑気に思いながら電話にでました。

すると姉から父さんが倒れ、救急車で病院に運ばれる中、心臓マッサージを受けていると聞きました。

え、病院?お父さん、心臓マッサージ・・・?

病院は実家の近くにある大きな病院でした。

そこには50分ほどで行ける距離なので、3分で支度して出ました。

その道中LINEで、姉から妹にも連絡がいき、さらに叔母さん(父の妹)も病院に向かってるとのこと・・・。

しかし、母に電話が繋がらない。

週に何回かパートに行っていたので、その日もパートだと思いましたが、4月にパート先を変えたばかりで勤め先や連絡先を聞いていませんでした。(特に私は結婚反対の件で、あまり積極的にコミュニケーションをとっていなかったので。)

とりあえず、母には携帯にメールを入れました。

病院

私が病院に着いた時、病院の受付は終了している時間でした。

病院に馴染みのない私は、通常の受付は終了しており、どこに行けばいいのか焦りました。

私が入った入口とは別階に「時間外受付」があり、そこで待合室で待つよう言われました。

待合室にはすでに叔母さん(父の妹)が到着していました。

その時、叔母さんから心臓マッサージ等、出来ることは全て手を施したが心肺停止状態であること。あとは死亡確認をする段階であること。そのために皆の到着を待っている状態であることを告げられました。

死亡確認・・・?生死を彷徨っているのではなく、死亡確認・・・。

この時、焦っていた気持ちがスッと楽になりました。

楽になる、という言葉は語弊があるかもしれませんが・・・。

父が生きるか、死ぬか、結果が分からないままの不安定な状態が、無自覚のうちに精神に負担をかけていました。

その負担から解放された瞬間、少し力が抜けました。

この後、姉と妹がほぼ同時に病院に到着。

3姉妹の中ではよく家に帰っていた妹も、母の勤務先は分からず、電話も繋がらないことから、母を除く、姉・私・妹・叔母さん(父の妹)の4人で死亡確認をすることとなりました。

死亡確認

すぐに父の姿が見られるのかと思ったら、先に医師から話がありました。

父との関係性をそれぞれ確認した後、医師から救急車の要請から病院に運ばれるまでの状況説明をされました。

自宅にいた父から叔母さん(父の妹)に電話があり、叔母さんは父のろれつが回っていないこと、父が「頭が痛い」と訴えたことから違和感を感じとり救急車を要請。

救急隊員が到着したころにはすでに心肺停止の状態。

そこから救急車で病院に運ばれる間も心臓マッサージや薬の投与をするも回復せず、出来ることは全て手を施したが脈は戻らず。

そして、今に至る。

死因は現段階では不明。(のちに脳出血と判明しました。)

実際は時刻や薬の名前等細かな情報まで入れて、かなり気を遣って説明してくれました。

その後、父のいる別室に移りました。

父の顔を見ましたが、まるで寝ているようでした。

パッと見たところ外傷はなく、いびきが聞こえてきそうなくらい、穏やかな顔をしていました。

医師は、医療ドラマによく出てくる心拍を波形で表示する画面を見ながら、父の胸に聴音器を当てて丁寧に心拍を確認しました。

画面は波形を示さず一本線のままで、それを医師と皆で確認しました。

そして最後に医師が「こちらの時計の時刻で◯時◯分、死亡確認となります」と丁寧に言われました。

私は「こんな風に確認するんだ・・・」と思いながらも、父の死に現実味が湧きませんでした。

その後、妹が母の職場と思われる会社名をネットで検索し、そこの電話番号に姉が電話をして母と連絡が取ることができました。(妹すごいな。姉も対応力すごいな。私役立たず・・・。)

父は霊安室に移され、叔母さん(父の妹)と姉は霊安室に、私と妹は母の到着を待つために受付に移動しました。

疑問と後悔

母が到着するまでのこと、私の頭の中は様々な事が頭を巡っていました。

一番は電話です。

父の電話は最終的に叔母さん(父の妹)に繋がりましたが、私の携帯にも着信がありました。

もし私が出ていたらどうなっていた?

なぜ私に電話を?

あの時電話に出れば良かった?

答えのない疑問ばかりが浮かびました。

次に父のこと。

死んでしまった父の人生とは幸せなものだったのだろうか?

ストレス溜めながら定年まで働いて、娘3人とも実家を出て、誰も孫を産まず、一生懸命働いたのに収めた分の年金ももらえないまま、定年退職後のゆっくりした時間を存分に過ごせないまま、誰もそばにおらずひとり自宅で死んでしまった父の人生。

すごく切なくなりました。

妹と最後に父に会ったのはいつだったかとか、そんな話をしている時、実は父から私のところにも着信があったことを伝えました。

ただ、着信を知ったのは「着信があった後」という体で話しました。

この時、着信に気づいていながら電話をとらなかったということを打明ける勇気はありませんでした。

それは現在も同じです・・・。

妹から発せられた言葉の1つは私の気持ちを救い、もう1つは私に後悔の念を抱かせました。

私の気持ちを救ったのは、例え私が電話に出ていたとしても父の死は回避できなかっただろうという言葉。

医師の説明によると救急車を要請してから、到着するまでの時間は30分ほどだったようで、到着した時には心肺停止状態だったことから誰が電話に出て救急車を呼ぼうと結果にさして変わりはなかっただろうと推測できました。

一方私の胸を苦しめたのは、妹からの、父が私に会いたがっていたという言葉でした。

妹が言うには自分のところには父からメールがきたことなんてない、と。

だから○○(私の名前)のところに電話したのかもね、と。

わざわざメールしてくるということは本当に遊びに帰ってきてほしかったからだったんだと、その言葉に込められた父の気持ちをやっと、本当の意味で理解できました。

まるで不意を突かれたようにスッと心の中に滑り込んできて、腑に落ちました。

それまでは、父親の気持ちを真摯に受け止めようとすら思っていませんでした。

私の意識の中では実家を出た段階で父はぼんやりとした存在になっていましたが、父の意識の中では私はしっかりと存在していたのだろうと、この時になって気づくことができました。

そして、そのことに気づくと同時に、父が生きている時に気づいてあげればよかった、父の気持ちを少しでも理解するよう働きかければよかったと、どっと後悔が押し寄せてきたのでした。

母の到着

母が病院に到着し、妹は母の到着を姉と叔母さん(父の妹)に知らせるために霊安室に、私は医師から説明を受ける母に付き添いました。

母は医師の説明をひと通り聴き「信じられません、今朝もいつもと同じでした」と父の死に現実味を感じていない様子でした。

その後「夫には会えるのでしょうか?」と母が言いました。

「会う」という言葉が、まだ父が生きているようなニュアンスを含んでいて、現実との乖離にアンバランスさを生じ、妙に切なく耳に残りました。

私は母を霊安室に連れて行きました。

母は父の名前を呼びました。

私は黙ってその様子を見ていました。

今生の別れ、後悔しないために感謝の言葉を。

私は学生時代、いや社会人になっても、父が死んでも泣かないだろうと思っていました。

思春期に父から散々否定的な言葉を言われ、それがとても辛く、憎しみすら感じていたからです。

しかし、人間とは本当に勝手な生き物で、生前あれだけ嫌な思いをしたにも関わらず、父の死に涙が出ました。

そのうえ後悔すら感じることになるとは思ってもいませんでした。

私は日ごろから自分がいつ死んでも後悔しないように毎日大切に生きるよう心がけていましたが、身内の死に後悔しないよう考えたことはありませんでした。

今思うのは、もっと父の気持ちを理解しようと意識を傾ければよかった、もっと感謝の言葉を伝えればよかった、そればかりです。

火葬場で肉体から骨になった父の姿を目にして、私の中で猛威を振るっていた憎しみも嫌な思いも、力を無くしていきました。

人の死の前では、そういった負の感情は本当に無意味だと感じます。

ありがとう

という感謝の言葉こそ、人生で一番大切な、かけがえのない言葉なんだと感じました。

失って初めて気づく、なんて言葉ありふれてますが、今生の別れを経験し本当にそうなんだと実感しました。

だから、身内や大切な人には感謝の言葉を伝えてください。

父が他界した4日後に祖母も他界しました。

祖母には亡くなる前日に会うことができ、そこで沢山感謝の言葉を伝えました。

それはもうしつこいぐらいに(笑)

それくらいしないと相手には伝わりませんから。

身内の死は精神的にきつい

身内の死は本当に精神面がきついです。

気持ちが動揺しているのはもちろんのこと、そのような心理状態で葬儀の準備をしないといけないからです。

葬儀屋を決め、親戚や父の知り合いに葬儀のお知らせをし、お寺のお坊さんにお経をお願いし、葬儀屋によってかかる料金も変わってくるので弱りながら現実的な判断もしていき・・・と、とにかく弱ったハートにスケジュールはハードです。

私の場合は姉と妹がいたので良かったですが、兄弟がいない人は大変であろうことは想像に難くないです。

また、会社を急に休まなければいけない心苦しさもあります。

そんな時、職場の方から体調を崩さないように、とか、ゆっくり気持ちを整理してください、とか言われた時は気持ちが楽になり、温かさが嬉しくてさらに泣きそうになりました。

もし、職場に忌引き休暇をとられてる方がいらしたら、少しでも声をかけていただけたらと思います。

周囲が自分の事情を分かってくれていると知るだけで、私は心が楽になりましたので。

最後に

最後に、皆さんに伝えたいことは

親、兄弟や大切な人には感謝の気持ち伝えよう、ということ。

ワンピースのエースも最後に言ってましたよね。

「愛してくれて・・・ありがとう!!!」と。

今生の別れに想うのは、憎いとか嫌いとか今までの想いではなく、感謝の想いです。

ありがとう

今生の別れを前に浮かぶ言葉、だから人生にとって大切な言葉、だと思います。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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雪だるま

雪だるまです。海自彼女→海自妻&一児の母。海上自衛隊の彼女の実態、海上自衛隊の妻の実態、育児、私の趣味、について綴っているブログです。私の語りが誰かの役に立てばいいな、という想いで書いております。

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